
串山 麻衣 Mai Kushiyama
演劇がしたかったのに、中学に演劇部がなく代わりに選んだのがカルチャーセンターのパントマイム教室。
無言の芝居。
大学で演劇専攻を目指すも補欠合格で繰り上がれず不合格で短大へ。
その後芸術学部に編入する際、声楽専攻を選びオペラを学ぶ。
大学卒業後、俳優養成所を経て劇団NLTに4年8か月所属。
その後小劇場を中心に活動。
ストレートプレイ、ミュージカル、落語、朗読など幅広く挑戦。
33歳インプロに出会う。
映像世界への意欲が生まれ37歳の時に芸能事務所キャンパスシネマに所属、中野愛弓と出会う。
現在アズゥに所属。
ーインプロを始めたきっかけ
インプロ最高だよ!面白いよ!やろうよ!と友人からおすすめされたけれど、なぜかまだその時ではないと思って動かず。
その2年後の2012年秋、劇団東京オレンジ主催の「劇ツク!」でインプロと再会しました。
講師はあのとき友人がおススメしてくれていた今井純さん。
運命的!ワークショップは刺激的で、いろんなシーンで爆笑。
見事にハマり、芝居と並行してインプロのワークを受け続けることになりました。
人生こそ即興だって純さんが言うんです。
普通すぎるくらい平凡な人生だと思ってたけど、よく見て感じて生きていると恋をしてる時くらいに色鮮やかにみえる。
この10年でまさか!!っていう非日常も起きて、落ち込んだりはしゃいだり、本当に人生は即興です。
〈お客様の前でインプロの芝居をする〉という階段をずっと登れずにいた私にとって、劇団magnetsは夢をかなえてる真っ最中なのかもしれません。
中野 愛弓 Ayumi Nakano
生年月日:1980 年 5 月 6 日
出身地:東京都 特技:バレーボール、卓球
趣味:読書、釣り、ドラム演奏、ダンス
免許:普通自動車免許
キャンパスシネマ所属
劇団magnets所属
12 歳「劇団ひまわり」に入所、18 歳にて退団。
19 歳で社会人演劇集団に参加し、以降、不定期で小劇場への出演を重ねる。
30 歳より現在の所属事務所「キャンパスシネマ」へ所属。
ーインプロを始めたきっかけ
そもそも即興芝居が苦手で。
自分が演じるのも、舞台で見るのも。
即興芝居をやらされることの嫌さは「ここでなんか面白く繋いでおく」とか「役者に任せる」みたいな、台本の緩さとか、着替えの時間や転換の時間の繋ぎを役者に丸投げされた経験から。
それが台本にト書きのように書かれていた。
いやいや、そこは脚本と演出がどうにかしてよ、と。
そして、そういうのをさせられている舞台を見るのも嫌だった。「これ、ちゃんと終わる?回収できる?」ってハラハラするものから、「なんでこんな内輪ウケしかないつまんない時間が発生してんの」ってイラッとするものまで。
2019年3月に串山と共演した舞台でもゲーム性のあるインプロを幕間としてやることになった時に「わたしはインプロが苦手だ」と伝えた上でそれでもいいならと受け入れてやったことはあった。
そんなふうにイヤだ、キライだと言い続けた私をよく誘ったもんだよ串山サン。
とはいえ。
そこに乗る私にも、そのタイミングでっていう、それなりに理由があった。
壁。
その壁は、インプロが嫌いな私が感じていた壁。
今は、それがわかってる。
でもその時は、その壁の向こうに行きたくて、壁の向こうに何があるかもわかんないのに行きたくて、それしか考えてなかった。
2020年8月。
「私は一生エンタメの世界で生きたい」
って強く想う出来事があった。
でもその頃の環境とかの要因もあったりで、なかなか活動もままならなくて。
2021年1月。
串山とカラオケに行った時、インプロワークショップに誘われた。
その場で参加を決めた。
壁をどうにかするために。
これまで、何事につけても、困難を感じた時、その困難を『壁』と言い表すなら、ぶっ壊すか乗り越えるか、それしか考えてなかった。
でも、ふと「そこに壁があるなら、その向こうには行く必要は無い、または、行くなということなのでは?」と思い至る。
もしくは「ここではない別の場所に入口があるのでは」とも。
はい。全ては概念です。
ただ、この考えが発想された時とほとんど同時期に、インプロに誘われて。ここに至るまでの7~8年は自分が見せたい自分ではなく、他人が「中野のここが良い」と評してくれたことを伸ばしていく「得意を武器にするターン」であった。が、そろそろ行き詰っていたことも承知していた。そこへ苦手なインプロへの誘い。
「苦手を克服するターン」の始まりなのかも、と。
